私の子育て体験記

 

私は兵庫県出身ですが、滋賀県出身の主人と結婚し、

30年前から滋賀県で暮らしています。

滋賀県の県立高校に教諭として就職し勤務していましたが、

子育てを優先するため学校を退職することにしました。

専業主婦を3年経験した後は講師として教員の仕事に復帰し、

非常勤講師の時は、兼業として自宅で個人塾を営みました。

正教員を辞めた私は、できるだけお金をかけずに

子どもたちをすくすくと育てる方法はないものかと、

育児の本をたくさん読み込みました。

そして、数多くの育児書に共通して書かれていることを

頭の中で整理し実践しました。

そのような私の子育て体験の中から、

これは良かったと思うことを、少しずつ紹介したいと思います。

共感して参考にしていただけることがあれば幸いです。 

 

                             

外遊びで五感を育てましょう!

 

人間の脳は10歳ころまでにほぼ完成するそうです。

その10歳までにどれだけ人間(動物)として、

五感を刺激し発達させることができたかということが、

その後の人生の基礎になる生きる力に直結するそうです。

 

私たち夫婦は子どもたちの笑顔を見続けたいという思いから、

仕事が忙しくても、とにかく色々な公園や自然の中の遊び場を探して、

朝から日の暮れるまで家族でへとへとになるまでたっぷり遊びました。

 

外で食べたお弁当。夕暮れまで帰りたくないと言って続けた

バトミントンやキャッチボール。

芝生の感触。風の匂い。幻想的な夕暮れ。家族でたっぷり味わいました。

 

なにせ自然の中の公園は入場料がいらないところがほとんどで、

その上人間の五感を育てるのに最高の楽園なのですから。

 

 NHKで「よく遊ぶ子は賢くなる」(2014/2/15)というニュースが流れ、

私が今まで考えて、子育てで実践してきたことと

全く同じことが報告されていました。

NHKのサイトで調べて見ましたら、News webでその内容を

詳しく読む事ができました。

 

以下、NHKのニュースの要約です。

「よく遊ぶ子は賢くなる」調査まとまる

 

いわゆる「難関大学」に合格するなどした経験がある人は、そうでない人に比べて、小学校に入学する前に思い切り遊んだり好きなことに集中したりしていた割合が高いとする調査結果がまとまりました。

 

この調査は、発達心理学が専門のお茶の水女子大学の内田伸子名誉教授らが20代の社会人の子どもを持つ保護者1000人余りを対象に行いました。この中で、「小学校入学前の子育てで意識していたこと」について尋ねたところ、偏差値68以上のいわゆる「難関大学」に合格するなどした子どもの保護者の35.8%が「思いっきり遊ばせること」と回答しました。また、難関大学合格者などの保護者の24.1%が「好きなことに集中して取り組ませること」と回答しました。

 

さらに、「子どもの遊ばせ方」について、難関大学合格者などの保護者の28.8%が「自発性を大切にした」と回答し、小学校入学前の時期に遊びを通じて自発性や集中力を養うことがその後の学力向上につながる傾向を示す結果となっています。内田名誉教授は、「小学校入学前は五感を使うことで脳が発達する大事な時期で、関心を持ったことをすぐ吸収できる力があります。遊びのなかで楽しみながらさまざまな力を身につけることがその後の学習意欲を育むことにつながる」と話しています。(以上)

 

 「賢い子」=「難関大学合格者」だとは思いませんが、

どんなことでも積極的に学ぼうとする子どもになることは

喜ばしいことだと思います。

 

 休日は人工的なテーマパークも良いですが、

自然の中に作られた公園で遊ぶことは、

子どもたちの五感や、自発性や、創造力、吸収力を高めるのに、

非常に効果があると私自身も実感してきました。

最近では自治体もそのことの重要性を再認識して、

自治体みずから山や川や海の近くに「冒険村」のような場所を

作っているところがたくさんあります。

そのような場所をどんどん利用して、

お金をかけずに親子で思いっきり遊ぶことは素晴らしいことだと思います。

 

3歳まではやっぱりスキンシップ!

 

「三つ子の魂百まで」は言い古された言葉ですが、

子育てにおいて忘れてはならない深い意味合いがある言葉だと思います。

 

赤ちゃんはお母さんのおなかの中にいる時から、

自分が親から愛されているか感じているのだそうです。

だから私たち夫婦も、おなかの中にいる赤ちゃんに、

毎日話しかけるのが日課でした。

 

「おかあさんだよ~」「おとうさんだよ~、元気か~い?」

「あなたは男の子?」「あなたは女の子?」

「女の子だったら1回おなかを蹴ってくださ~い。」

「男の子だったら2回蹴ってくださ~い」

「どちらでもいいから元気で大きくなってくださ~い」

「おーい、聞こえてるか~い」

 

端からみると少しおかしいような光景だと思いますが、

こんな事を毎日やっていたことを思い出します。

案外赤ちゃんはわかるようで、

「おなかを蹴ってくださーい」って言うと

ちゃんと足やら手やらがおなかの中から

にゅーと突き出てくるのは、本当にびっくりしました。

赤ちゃんはおなかの中でも、

すでにお母さんやお父さんの声かけに

反応していると確信できる瞬間があったのです。

 

自分でも滑稽だと思いますが、

大きなおなかに向かって絵本を開き、

昔話を大きな声で読んで聞かせたこともあります。

そこまでやるかーって自分で自分に突っ込みたくなるほど、

お話をいっぱい聞かせたい、

という押さえきれない思いがあふれていたと思います。

子どもってやっぱり可愛いですものね。

 

3歳まではたくさんたくさん話しかけて、

小さくて素朴なおもちゃを使って、一緒に遊んであげるといいですね。

いっぱい抱っこをして、いっぱいひっついて、

動くようになったら安全には気をつけながら、

出来るだけ自由に動き回れるようにしてあげたらいいですね。

我が家では滑り台付きのジャングルジムがリビングに所狭しと置いてあって、

子どもたちはどれだけそれで体を動かしたことでしょう。

 

ティッシュを全部ひっぱり出してしまっても、

台所の扉を全部開けてしまっても、ぜーんぶとても微笑ましいこと。

子どもがニコニコしているなら、なんでもOKなのが3歳までだと思います。

好きなように喜ぶことをどんどんさせてあげましょう。

3歳過ぎれば、子育ては少しずつ躾の時期に入っていきます。

それまでは、子どもはとにかくニコニコしていればいいのです。

 

この時期、間違っても赤ちゃんをかまわずにほったらかしにしたり、

テレビの音ばかり聞かせるようなことをするのは危険です。

動物は動物らしく、無邪気で元気な赤ちゃん時代を過ごすことが大切だと思います。

 

噂に違わず結構きつい公園デビュー

 

赤ちゃんの時から外気に触れさせること、

外遊びをさせることが大事だとわかっていても、

毎日というとなかなか大変です。

私は長男誕生とともに退職してしまいましたし、

生まれ育った街から遠く離れた地方に嫁いだので、

近所に身内も友達もいなくて本当に孤独でした。

 

頼りは主人だったのですが、

若い時は誰でも仕事をいっぱい引き受けなければならないし、

こなしていかなければ一人前になれません。

男の人も、仕事と家庭との板挟みで、

今思うと大変だったろうと思います。

 

でも、可愛いとはいえ、赤ちゃんと日中ずーと一緒にいる

母親のストレスをうまくコントロールしたり解消したりするのは

一筋縄ではいきません。

ついつい公園で出会ったお母さんにすぐ気を許したり、

親しく付き合ったりしてしまいます。

 

これが案外落とし穴で、

色々な人が集まってくる所で知り合う人が、

みんな自分と気心が合う人になるとは限りません。

どちらかというと、最初はいい人だと思っていた人が、

自分にとって困った人、

わけのわからないトラブルに巻き込む人になることも多いです。

 

若い時は私もまだまだ世間知らずだったのでしょう。

教師をやっていただけではわからないような、

どろどろとしたママ友の世界で、

子育て以外のストレスを倍増させる経験をしました。

わけのわからないことが、いろいろ起こりましたが、

今思うとそれが一般社会というものですね。

私自身も嫌な思いをして、

少しずつ人との距離の取り方を学んでいったような気がします。

孤独だからといって、すぐに公園で知り合った人に気を許すのは、

十分注意しなければいけません。

 

それなら、どこでほっとするのか。

私は実家が近くになかったので、それはなかなか切羽詰まった問題でした。

比較的安心なのは、自治体が運営している子育てセンターに出入りしたり、

子育てサークルに参加したりすることです。

 

他には全国に「おやこ劇場」というお母さん達の有志団体などがあって、

私はそこの会員になって、やっと気心の知れる仲間たちと出会いました。

その団体は、会費を月900円ずつ積み立てて

年に4,5回演劇、人形劇、音楽、芸能などを親子で鑑賞するという団体です。

また、最近は自治体がそのようなイベントを企画してくれることも多いですし、

様々なボランティアグループが子ども向けの文化活動を行っています。

 

子どもたちが目の前で生のパフォーマンスを鑑賞することは、

人間の五感を刺激し発達させるのに、とても有効です。

 

身近で生の人間の声を聞き、パフォーマンスを観ることで、

「人間っておもしろいなあ。」「人間ってすごいなあ。」という

『感動』の心が育ちます。

 

そんなことがわかりあえるママ友は

本当に素敵で付き合いがいのある人が多いです。

 

自分のほっとできる場所、

仲間はすぐには見つからないかもしれませんが、

巡り会ったときの喜びは格別なものがあります。

子育て中のお母さん!慎重にかつ積極的に

自分の『ほっとステーション』を探してください。

お母さんの精神の安定が、子どもの成長に一番効果があると思います。

 

幼児期に必要なのはもちろん「絵本の読み聞かせ」

 

私は国語教師で、中学校で三年間勤めたことがあります。

生意気盛りの中学生は「どうして国語なんか勉強しなくちゃいけないの。」

なんてことを平気で言ってきたりするので、その度にこう答えました。

 

「国語力は全ての勉強の土台になる力だから、

 国語をしっかり勉強しないと、他の教科の力も伸びないんだよ。

 それに、自分の生まれた国の言葉を母国語というのだけれど、

 母国語をしっかり身につけて深く考えたり、

 話したり、書けるようにならないと、

 みんなの心が育たないんだよ。

 心が豊かでないと他の教科の学力も伸びていかないんだよ。」と。

 

ここでいう「学力」とはテストの点数だけを指しているのではありません。

「心が豊かである」ことが、いろいろなことに興味や関心を持って行動する力

そのものになると、私は考えているからです。

 

子どもの心を豊かにし、国語力を身に付けさせるために一番有効な方法は、

幼児期の「絵本の読み聞かせ」だということは、あまりにポピュラーです。

大切なことは親がそのことを実行できるかどうかです。

その有効性、重要性をわかったうえで、我が子の幸せを願って、

楽しんで読み聞かせを実行していくことがとてもとても大切な事なのです。

 

私自身、母に読み聞かせをたくさんしてもらった思い出があります。

中でも世界の伝記をよく読んでもらいました。

 

忘れられないのは、『ヘレン・ケラー』を母に読んでもらっていた時、

母が私に読んでいるのも忘れたように、

母自身がお話に感動してしまって泣きながら読んでいた姿です。

何十年たっても記憶から消えない母親の思いとぬくもり。そして言葉。物語。

これらが子どもの心の糧になり、学力の土台となるのは間違いありません。

 

ありがたいことに図書館で本を借りるのにお金は全くかかりません。

私も2人の子どもを連れて図書館に定期的に通い続けました。

物心がつかない時からそうしていると、

子どもも図書館が居心地の良い場所だと思ってくれるようになります。

たくさんたくさん絵本や紙芝居を借りました。

子どもたちにも自分で読みたい本を自由に選ばせました。

 

遊びに行く感覚で、どんどん図書館に通ってください。

自ら進んで本を読む子どもになりますよ。

 

不幸だった少女の話

 

実はこの話は学校に勤めている私が、

時々生徒たちに話す私自身の話です。

 

私の家は私が小さい時からなぜか騒動の多い家庭でした。

小学校高学年のころ、家庭内の不協和音が特にひどくなり、

騒動がおそろしかった私は、

休日に家にいるのがつらくてたまらなくなりました。

そこで思いついたのが、休日にタダで子どもの居られるところ、

つまり「図書館」に一日中居ればいいのだ、ということでした。

 

図書館に行くと言えば特に親から何も言われませんので、

休日は開館時間から閉館時間まで図書館で過ごすことが習慣になりました。

お昼時にも家に帰らず、自分のお小遣いでパンを買って食べていました。

 

長時間図書館に入り浸っているのですから、読書のし放題です。

まず、当時小学生の間で人気だった「江戸川乱歩シリーズ」を読破しました。

探偵明智小五郎と少年探偵団。怪人二十面相とのハラハラドキドキの駆け引きは、

私の不安や憂鬱を忘れさせてくれるほどの面白さがありました。

次は探偵シャーロック・ホームズのシリーズです。

頭脳でトリックを解明し、事件を解決していく知的な内容は、

私の脳にとても刺激的だったと思います。

そして世界の伝記シリーズ、日本名作全集、世界名作全集へと、

私の読書は加速していきました。

 

読書をしているうちに、

自分の家庭の不幸なことが自分だけの不幸ではないのだ、

と子ども心に客観的に考えられるようなっていったような気がします。

自分だけが不幸なのではない。

物語の中には同じように悩んでいる人がいるし、

私よりももっと過酷な状況の人もいるのだ。

それでも、高い志の人が本の中にはたくさん登場する。

そのような思いがあの時の私を支えていたと思えるのです。

 

読書に飽きた時には、図書館に置いてあった「自由自在」という

中学受験用の問題集にも取り組みました。

受験の予定など無かったのですが、知的好奇心で始めたような気がします。

私は子どもの時、都会に住んでいましたので、

クラスに何人か私立の中学受験をする生徒がいました。

6年生の時の担任の先生は、その生徒たちのために

受験問題を授業中に出題するような先生でした。

そんな時、受験予定の生徒たちより早く、私が答えを出してしまうので、

担任の先生はびっくりしてしまい、

私の父に中学受験をさせたらどうかと話をして下さったようです。

 

私の家は貧乏だったので、とても私立の中学校には行けません。

そこで予定に無かった国立大学の附属中学を受験してみることになり、

なんと合格してしまったのでした。

 

その時の面接で、試験官の先生(附属中学の教頭先生)から

「受験勉強は塾に行ってしたのですか。」と質問されましたが、

私は「いいえ、塾には行ってません。」と答えました。

「それなら、どうやって勉強したのですか。」と聞かれましたので、

「図書館で1人で勉強しました。」と答えました。

「ほお、それは。」と試験官の先生が非常に驚かれたのを、

今でもはっきり覚えています。

 

授業でこの話をした後、聞いていた生徒たちはこう言います。

「不幸だった少女の話って、先生の話やったんや。」

「なんや、自慢話かあ。」なんてね。

 

それで私は答えます。

「そうや自慢話やで(笑)。でもみんなには覚えていてほしいです。

 みんなの中には今幸せな人もいるだろうし、不幸な人もいるかもしれません。

 でも今不幸だと思っていることが、

 後から考えたら幸せになるために必要なことだったんだ、

 と思えることもあります。だから今不幸な人も頑張って幸せになりましょう!」と。

 

それから、

「図書館ってやっぱりいい所ですねえ。みんなどんどん行きましょうね。」

と話をして終わります。

 

子どもは天からの授かりもの

 

私は自分の子育てや学校での教育に長年たずさわってきた中で、

子育てで悩んでいるお母さんにたくさん出会いました。

そんなお母さんたちに共通していることが

いくつかあることに少しずつ気がつきました。

 

その共通点の一つは、「子どもは自分のもの。一部。所有物。」

という意識が強いお母さんほど、悩みが深いということです。

母性がとても強く、子どもを愛し過ぎているようなお母さんは、

その思いの強さで子どもを圧迫し、束縛し、

かえって子どもの反発を買うことが非常に多いようです。

一生懸命が仇になり、子どもが親の思いと反対の方向に

育っていってしまうケースが多いのも現実です。

 

このような事例を数多く見ているうちに、

私は自分の中に、ある思いを刻み込むようになりました。

この目の前にいる天使のような我が子は確かに可愛い。

でも、この子たちは、私の所有物では決してないのだ。

きっと、どこかで聞いたことがあるように

「神様が一時的に私たちに育てるようにお授けになった」。

 

いつか社会で何かのお役に立てる人間になるように、

一生懸命育てなくてはいけない。

だから私はこの子どもたちが立派に独り立ちして、飛び立つ時まで、

子育てをしっかり楽しむことを心がけようと。

 

「自立できる子どもに育てること」が

まず子育ての目標でなければならないように思います。

 

そしてそれが将来親にとっても、

子どもにとっても幸せになる方法であると思うのです。

 

少しずつ自分のことは自分でさせましょう

 

私が自分の子育てを振り返った時、自分でもびっくりするというか、

ちょっと自慢したいような気持ちになることがあります。

それは、2人の子どもの遠足や旅行などの準備を、

親の私が「してやった」という覚えが全くないということです。

 

私は教師をいったん退職した後、3年間専業主婦をしていました。

でも、上の子が5歳、下の子が2歳になる年、

やはり教師の仕事したいという気持ちが抑えきれなくなり、

非常勤講師として仕事に復帰しました。

それまで子どもたちを家でみていたのですが、

思い切って2人を保育園に預けて、働くことを再開しました。

 

前に「3歳までは、スキンシップ!!」と書かせていただきましたが、

3歳を過ぎたらそれとは逆に、

少しずつ「自分のことは自分でする」ということを、

生活の中に取り入れていくことが大切だと思います。

 

私も子どもたちに、保育園に行く準備や、

いろいろな後片付けなどを、

無理のない範囲で自分でするようにうながしていきました。

お決まりの育児のポイントでいうと、

「子どもが自分のことを自分ですることができた時、

 しっかりとほめてあげましょう。」となるのでしょうが、

私の場合は、そうすることがあたりまえと子どもに思わせる、という感じでした。

 

子どもの物心がつくかつかないかという幼い時に、

「こうすることがあたりまえ」という感じを

自然とすり込んでしまうのです。

 

「自分のことは自分でするのがあたりまえ」

「家族が家事を分担するのはあたりまえ」

「親は仕事、子どもは勉強するのがあたりまえ」などなど、

物心がつかないうちになんとなくすり込んでしまうのが私の作戦でした。

よく、家庭学習ができない子どもに悩んでいるお母さんがおられますが、

私は子どもが小学校に入学すると同時に、

「学校に行くようになったら、家で1時間勉強するのはあたりまえだし、

それが子どもの仕事なんだよ。」とすぐにすり込んでいったのです。

 

何事も一番最初が肝心です。そのチャンスを逃さないことが、

子育てで最も重要なことであるように思います。

 

保育園で初めての遠足があったとき、

遠足を楽しみにしてわくわくしている子どもたちに、

「遠足楽しみだね。遠足の準備、自分でできる?

 楽しい遠足の準備だもの、自分でできるよね。」って感じでした。

 

一番最初にそのようにもっていっておくと、

なんと、我が家の子どもたちは大人になるまで、

親の私に準備をしてもらう、なんてことが一度もなかったのでした。

(いえいえ、一度もないというのは実は間違いで、2人とも学校代表に選ばれて、

アメリカに10日間ホームステイに行かせていただいたことがあるのですが、

その時ばかりはさすがにトランクの中身をしっかり確かめました。)

 

でも、保育園の時以来ずっと、

子どもの代わりに何かの準備をしてやったということが、ほとんどありません。

「自分のことは自分でするのがあたりまえ」って少しずつ思わせることは、

大人にさせるために、とても大切な躾だと思います。

もちろん違う部分で甘えさせることと、うまくバランスをとることは必要です。

 

10歳までは機械に頼らず、人の手で育てましょう!

 

大学生の時、教育学部の発達心理学の授業で、

人間の脳の原型は10歳でほぼ完成する、ということを習いました。

だから私は、自分の子どもたちを10歳までは、

特に人間(動物)らしく育てなければならないと強く思っていました。

人間は元々動物なのであり、動物である人間を機械まかせに育てたら、

本来の人間が持つ潜在能力を退化(衰え)させてしまうと思ったからです。

 

機械まかせとは、具体的に言うと、赤ちゃんをほったらかしにしたまま、

テレビに長時間子守をさせたり、小さい子どもにDSなどのゲーム機を与えて、

周りの大人がかまってやらなかったりすることです。

 

私の子どもたちが保育園に通い始めた頃、

世の中にテレビゲームというものが発明され、大流行になっていました。

幼稚園に通っている子どもたちなどは、半日で家に帰ってくると、

誰かの家に集まってひたすらテレビゲームをするというのが、

あたりまえの世の中になっていったのです。

 

でも私はいくら世の中がそうであっても、

自分の子どもたちの脳は人間らしく成長することを願いました。

だから、長男がいくら欲しがっても、

どうしても買い与える気になれませんでした。

息子は友達と私との間でそれはそれはつらかったと思います。

親子で泣きながら言い争ったこともありました。

 

「なぜ、ぼくだけ、テレビゲームを買ってもらえないの。」

「みんな、ゲーム上手で、僕は下手だから仲間はずれにされる。」

 

何度この言葉を息子から泣きながら訴えられたでしょう。

でも私は「あなたの脳は今とてもやわらかくどんどん元気に成長しているの。

だから今は、ゲームより外で元気に遊んできて欲しい。」と泣きながら答えました。

 

子どもたちのために、大きな公園があるところに引っ越しもしました。

公園があれば子どもはやっぱり元気に遊びますから。

うちの息子がいつも公園で遊んでいるので、

いつのまにかゲームをしていた子どもも公園に出てきて遊ぶようになり、

夕方遅くまで、子どもたちのにぎやかな声が聞こえてきて、

うれしかったのを思い出します。

 

高学年になったらいじめなども本格的になるだろうし、

目標の10歳まで息子は我慢しましたので、

10歳の誕生日のプレゼントはプレステーションのテレビゲームにしました。

息子はとてもびっくりして喜んでいました。

私も「これからは、みんなの話についていけるように、

少しはゲームもたしなみなさい。」なんて言いながら

プレゼントしたのを覚えています。

 

しばらく息子はテレビゲームをやっているようでしたし、

やっと友達を家に呼べるようになりましたが、それは長くは続きませんでした。

10歳までゲームをほとんどしなかった息子は、

ゲームよりも面白いことを、たくさんたくさん知ってしまっていて、

結局その後ゲームにはまることはありませんでした。

 

でも、ゲームをしていなくても情報処理能力は育つようです。

息子は今ではあらゆるメディアを使いこなします。

 

 ほとんどのお母さんはそうは思ってはいても、

やっぱり自分の子どもが仲間はずれにされて、

つらい思いをするのがかわいそうで、ゲームをさせてしまうようです。

 

そこを耐えられる子どもにするために、

小さい時に外遊びを十分にさせたり、

読み聞かせをしたり、

生のパフォーマンスを鑑賞して感動の心を育てたりすることが、

大切であると思うのです。

周りに合わせてばかりいると、本当にしたい自分の子育てを見失います。

親も子も、何が大切か、強い心で見失わないように頑張りたいものです。

 

子育て中は、親がメディアに関して管理した方が良い(1)

 

メディアが生活の隅々にまで浸透している現代社会では、

子育ては年々難しくなっていると言えるでしょう。

子育て中は、親が意識的にメディアからのあふれる情報を管理しなければ、

子どもを人間らしく育てることは困難であるように思います。

 

学校現場でも、中学生で気力や体力がなかったり、

鬱病になってしまう子が徐々に増えているのが現状です。

中学生といえば、大人へと心身ともに一番大きく成長する時であり、

エネルギーにあふれている時期であるはずなのにです。

 

繰り返し書いていますが、

小さい時に人の手をかけず、機械まかせに子育てをしてしまうと、

生きていくための原動力となる人間らしい心や、

動物として生まれつき持っているはずの潜在能力が

失われていく可能性が高いと思われます。

 

最近は働いているお母さんも多いので、

休日も子どもにばかり手をかけられず、家事に忙しい人も多いでしょう。

そのような時は、できるだけおんぶひもで赤ちゃんを負ぶって

家事をすることを心がけた方が良いでしょう。

お母さんとの体の接触が、

赤ちゃんの健全な発達にとても大切だからです。

最近は、機能的なおんぶひもが開発されているようなので利用するといいですね。

 

赤ちゃんがおんぶできないくらい重たくなったら、

赤ちゃんが自分の足で少し動くことができる円盤形のいすの中に座らせて、

家事をしているお母さんのそばで遊ばせましょう。

安全なおもちゃを円盤にのせてやると、

赤ちゃんは喜んで1人遊びをします。

お母さんは赤ちゃんに話しかけながら、

洗濯物を干したり畳んだりするのが良いですね。

 

テレビを見せてはいけないとは思いませんが、

見せる時間ができるだけ少なくなるように心がけるほうが良いでしょう。

何を見せるかも少し配慮した方が良いと思います。

NHKの教育番組は問題が少ないので、親子でいっしょに見て、

体を動かしたり、歌を歌ったりするといいですね。

 

民放の番組は、流行ものもあるので見せないわけにはいきませんが、

内容の過激なもの、子どもにふさわしくないものもあって、

テレビ局に抗議したくなる時がありますので、

見せっぱなしならないように注意した方がいいですね。

うちの息子も「~レンジャー」をたくさん見ましたが、

時に内容に問題を感じることがあって、

そんな時は気分転換に外遊びに連れ出したものでした。

 

小さい時にDSやスマホなどのゲーム機を与えてしまうのは危険だと思います。

DSは、ある程度大人になった人が、

気晴らし、気分転換、能力アップなどに使うものであるべきだと思うのです。

幼児にゲーム機を触らせるくらいなら、

水遊び、土いじり、おもちゃで遊ばせる方が、

はるかに子どもの五感が発達すると思います。

 

しかしこのような子育てをするには、母親1人では負担が大きすぎます。

父親はもちろん周囲の大人(祖父母、幼稚園の先生、保育園の先生、育児仲間など)

に協力してもらうことが不可欠です。

 

特に父親の協力は重要ですので、どのような子育てをしたいかということを、

根気よく話し合い、価値観を共有できるように努力した方が良いでしょう。

若いお父さんは、子育ての細かい事に興味のない人も多いので、

なかなか協力してもらうのは大変です。

女性はそういう意味では、子育てと共に

父親育てをしなければならない場合が多く大変です。

 

でもここが女性のふんばりどころなので、

あきらめずに協力を求めていきましょう。

もちろん、仕事に疲れているご主人に思いやりを忘れず、

ねぎらいの気持ちを忘れず話し合うことが大切だと思います。

男性は、何かのきっかけでびっくりするくらい父親として成長して、

頼りがいのある存在になるようです

 

 祖父母に理解してもらうことも、時に大変な事がありますが、

逆に教えていただけることもたくさんあります。

素直に参考にさせていただきましょう。

 

子育ての負担が母親にばかり集中しないように、

みんなで協力することが何より大切ですね。

 

子育て中は、メディアに関して親が管理した方が良い(2)

 

我が家の子どもたちがメールのできる携帯電話を持ったのは、高校入学の時でした。

中学の時からもちろん欲しがりましたが、テレビゲームの時と同じで、

親が子どもの言いなりになることはしませんでした。

 

長男と長女はそれぞれ運動部のキャプテンを務めていましたので、

他の部員がほとんど携帯を持っている中、

いろいろな連絡に携帯がどうしても必要だと、強く要求して来ました。

 

でも、中学時代は成長期で、思春期であり、

人間としてはまだまだ未完成で不安定な時期であると言えます。

さらに、義務教育の仕上げの段階であり、

基礎学力をしっかり身に付けなければならない時だと思われます。

だから、子どもがどれほど強く要求しようとも、

世の中の他の子どもたちが持っていようとも、

私たちは親としての願いを曲げる気になりませんでした。

 

でも、あまりに子どもたちが要求して悩んだりするので、

リビングにパソコンを一台置いて、それで連絡を取ったり、

インターネットを見たりできるようにしてやりました。

中学時代は、親のいるところで、親に見られてもよいことにしか、

インターネットを使うことを許しませんでした。

インターネットを自由に使うには、まだまだ未熟な年頃です。

それを認識せずに、子どもの言いなりになって、

個室にパソコンを置いてやったり、携帯を自由に使わせたりするのは、

危険なことだと親はしっかり認識しておくべきだと思います。

 

でも、我が家の子どもたちの頃は、

まだ今よりはましな時代だったでしょう。

娘が大学生になった頃から、

世の中では携帯とインターネットがいっしょになったスマホが、

携帯に取って代わり主流となってきました。

今の子どもたちは、中学入学と同時にスマホを買ってもらうのが

あたりまえのようになってきているそうです。

 

世の中の流行についていくことと、子どもの健全な成長をみることと、

どちらが大切なのでしょうか。

 

教育現場にいると、毎日のようにその問題を突きつけられますので、

本当に頭を抱えてしまいます。

そんな時、大学生になった子どもたちに意見を聞いてみました。

すると2人とも、中学生の時は妥協をしない私たち親に、

大きな不満(憎しみに近いもの)を持っていたらしいのですが、

今となっては、感謝の気持ちしかないと笑いながら答えました。

 

「スマホなんて、中学生に自由に持たせたらあかん。

 いや高校生にも早すぎる。勉強なんかしなくなるやん。」

と偉そうに言うのですから、相談した親の私の方がびっくりです。

 

携帯によく似た話で、カラオケにも子どもだけで行きたがりました。

私は、中学生だけでそんな所に行かせたくなかったので、

禁止する代わりに家族4人でよくカラオケにも行きました。

禁止するためには、何か子どもの心をほぐすような、楽しい工夫も必要です。

 

長女が中学3年生だった時、子どもを狙った犯罪が多発しましたので、

電話の機能だけの携帯は持たせました。

学校にいる間は、先生に預けておくシステムになっていました。

家での学習時間は8時から10時までとだいたい決めていましたので、

携帯はリビングに置かせていました。

テレビもニュース以外に自由に見ても良い時間は1時間と決めていました。

 

なんだか細かい家だなあと、思われるかもしれませんが、

文武両道を実現させようと思ったら、この複雑な現代社会では、

これくらい親が管理していないと、子どもを守りきれないような気がします。

 

高校になったら、2人とも携帯を許しましたし、

たまに友達とカラオケに行くことも見逃しました。

でも、中学までしっかり管理されていたせいか、

特別非常識なことはしない高校生だったと思います。

 

子どもが中学生の時、親や教師は憎まれてでも「壁」になるべきだと思います。

体を張って、「ここからは許さない。」ということを、

子どもにしっかり示すべきではないかと思います。

 

伝統的な年中行事を親子で楽しみましょう

 

桜の季節になると、子どもたちが小さい時、簡単なお弁当を作って、

きれいな桜の木の下で家族でおにぎりをほおばったことを思い出します。

ゆったりとした時間でした。

子どもたちと一緒に、「きれいだね〜。」と言って、

のんびり花を見上げていました。

 

長女が小学一年生の時、「あのね日記」という宿題があり、

家で過ごした休日の出来事を子どもはたくさん書いているようでした。

 

ひな祭り、お花見、蛍狩り、カブトムシ取り、七夕、

お盆、お彼岸、運動会、紅葉狩り、クリスマス、お正月など、

伝統的な行事がいろいろありますね。

基本的に面倒くさがりの私ではありますが、子育てに夢中だった頃、

子どもたちの喜ぶ顔が見たくて、張り切ってお弁当を作ったり、

手作りのケーキに挑戦したり、ちらし寿司を手作りしたり、

一生懸命頑張っていたなあと、しみじみ思い出します。

 

娘の担任の先生に言われたことがあります。

 

「お宅では、ひとつひとつの行事を本当に楽しんでいらっしゃるのですね。

 娘さんの日記を読んでいると、

 家族みんなで年中行事を大切にされていることがよくわかります。

 このように、一つ一つの伝統を大切にされているから、

 娘さんは情緒が安定されているのだなあと思って、

 あのね日記を読ませていただいています。」と。

 

ただ、子どもの喜ぶ顔が見たくて、夢中でやっていただけなのですが、

そのようにあらためて言っていただくと、こういうことは、

実は子育てでとても大事なことなのかもしれないと嬉しく思いました。

 

おばあちゃん(姑や母)から教えてもらったことも、本当にたくさんあります。

良い伝統は素直な気持ちで受け継いでいくことが大切なのではないでしょうか。

 

 

子どもは知恵がつくと「うそ」をつき始める

 

長男が保育園の年中(5歳)だった時、

子育てを頑張ってきた私にとって、衝撃的なことが起こりました。

当時、「忍たま乱太郎」のキーホルダーが流行していて、

スーパーのお菓子売り場などに売っていたのですが、

「節約第一、無駄なものは買わない」という思いを強く持っていた私は、

息子がほしがっても、買ってやりませんでした。

 

それまで、外遊びや絵本の読み聞かせなどを一生懸命やってきたので、

我が家の子どもたちはとても聞き分けが良く、

スーパーなどでぐずってだだをこねるというようなことがありませんでした。

私はそんなよい子の子どもたちに油断していたのでしょう。

 

ある日、息子が保育園から帰ってきた時、

なぜかカバンに忍たま乱太郎のキーホルダーが付いてありました。

「どうしたの、これ。」と私が尋ねると、息子は

「保育園の廊下に落ちていたから、カバンに付けてきた。」と言いました。

私はびっくりして、

「廊下に落ちていたのなら、先生に渡さないとだめでしょう。

 勝手に持って帰ってきたらだめでしょう。」と強い口調で息子に言うと、

息子は「わかった。明日先生に渡す。」と言いました。

次の日、保育園の息子の部屋にお迎えに行った時、

私は初めての衝撃を味わったのです。

同じクラスの女の子が私を見て飛び出してきて、

「○○君、私のカバンからキーホルダーを外して、自分のカバンに付けて帰った。」

と言うではありませんか。

その瞬間私の頭は真っ白になり、次の瞬間、

何も気づかず笑顔で教室をでてきた息子を、

無意識にぶっとばしてしまったのです。

保育園の担任の先生がびっくりして飛んできて、私に事情を聞きました。

「息子が私にうそをつきました。人のものを取りました。」

興奮して私が混乱していると、担任の先生は、

「子どもならそんな事はよくあることですよ。

 私の子どももそんな事がありましたよ。」と言ってくださいました。

先生に「私の子どもも」と言っていただいて、

私のショックは少しやわらいだように思います。

今思い返すと、保育園の担任の先生へ感謝の思いとともに、

やはりその道のプロはさすがだな、という思いがします。

 

姑にこの話をした時、

次のように言われたのも私にとって新しい気づきになりました。

「無駄なものを子どもに買い与えたくないという気持ちもわかるが、

 小さい子どもにあまりひもじい思いをさせすぎてもいけない。

 ちょっとした駄菓子、ちょっとしたおもちゃ(駄菓子のおまけ)くらいは

 そんなに高いものではないのだから、そういうもので心が満たされるのなら、

 小さい子どもの心を満たしてやるのも大切だ。」ということです。

さすが、年長者の言葉には経験に基づいた説得力がありました。

 

私もその後は、スーパーに行った時駄菓子を一つずつ選ばせたり、

駄菓子に付いているおもちゃも適度に買ってやったりしました。

忍たま乱太郎のキーホルダーも気持ちよく買ってやりました。

当時「がちゃがちゃ」という小さいおもちゃが流行っていたので、

1週間に1回くらいの感じでルールを決めてやらせてやりました。

 

中学校の生徒にこの話をした時、

「1週間に1回というのは甘すぎるでー。」

と言われましたが。

 

話は戻りますが、そんな衝撃的なことがあった日の夜、

私は知恵のついてきた息子にこんこんと話をしました。

「うそをつくような気持ちにさせたのはお母さんが悪かったね。

 でもやっぱり、うそをついてはいけません。人のものを取ってはいけません。

 それは絶対にやってはいけないこと。うそばっかりついていると、

 「オオカミ少年」のお話のように、だれからも信じてもらえなくなり、

 たとえ本当のことを言っても「うそ」をついていると思われるようになるんだよ。

 だれからも信じてもらえなくなったら、本当に悲しいよね。」

そのようなことを、何度も何度も心を込めて息子に話しました。

 

5歳の息子がその時「うそをつくことの恐ろしさ」を理屈として

どれだけ理解できたかはわかりません。

でも、母親の私が心からショックを受けたこと、

悲しんだということは感覚として充分に感じたのではないかと思います。

 

あの時以来息子が大人になるまで、

「なんでうそをついたのだ!」と激高した記憶がないからです。

 

人間だから、息子も軽いうそはたくさんつきながら大きくなったとは思いますが、

本当に5歳のその時以来、私が決定的に傷つくことはありませんでした。

 

そういう経験から、やはり子育ては「初め」が肝心だと確信するようになりました。

中学校で教えていたとき、「うそ」が常習化している生徒に何人か出会いましたが、

中学生まで常習化していることを更生させるのは本当に大変です。

 

子どもは知恵がつき始めたら「うそ」をつき始める。

親はそれも子どもの成長の一貫だと受け入れ、

「初め」の時にしっかり話をしておくことが、

後々子育てで苦しまない秘訣のように思います。

 

今回は息子の話でしたが、娘も同じように知恵がつき始めた頃、

ちょっとした事件をくり返しました。2人目だったので、

私も親として少しはわきまえていましたが、

幼い子どもに「うそをついてはいけない」ことをわからせるのは

根気のいることです。

 

でも、「うそをつき始めた初めの時」に親が頑張るかどうかは、

長い子育ての中で、とても重要なポイントだと思います。

 

小学校入学と同時に家庭学習の時間をしっかりと確保しましょう!

 

自主的に勉強をする子どもにするためには、

やはり小学校入学時からの家庭学習の習慣化がなによりも重要だと思われます。

この体験記でも何度も「初め」が肝心だと書いてきましたが、学習もしかりです。

 

小学校に入学する時は周囲のお祝い気分で、親子ともどもバタバタしますが、

そこは少し落ち着いて家庭での学習環境を整える必要があると思います。

子どももまだ、家庭学習を自分自身でやらなければならないということが、

まったくわかっていませんので、最初は親が時間を設定し、

子どもに寄り添いながらスタートするのが良いと思います。

 

我が家はわかりやすく、子どもたちに、

「小学校に入学したら1時間は宿題とかドリルとか、

 勉強するのがあたりまえなんだよ。

 学校はあななたちがちゃんとした大人になれるように勉強するところだからね。

 授業の前に明日の授業ではどんなことするのかなって予習をしたり、

 授業で習ったことを家でやり直して復習したりすると、勉強がよくわかるからね。

 お父さんお母さんにそれぞれ仕事があるように、

 子どもはしっかりとした大人になれるように、

 勉強するのが子どもの仕事なんだよ。」などということを、

 優しく言い含めていきました。

 

宿題だけでは1時間もかかりませんので、子どもたちを連れて本屋に行き、

子どもたち自身にドリルを選ばせたりしました。

ドリルといっても、小学校1年生ですから漢字や計算くらいのドリルです。

「どれがやりたい?」「どれが面白そう?」

 

私が子育てで特に気を付けていたのは、

「親にやらされている感」を極力子どもに感じさせないようにすることでした。

だからドリルでも「これがいいから、これとこれをやりなさい。」

という言い方はできるだけせずに、

「どれだったらやりたい?」というような尋ね方をするのです。

ある程度誘導してはいるのですが、最後の決定権は常に子ども自身にゆだねました。

そこに配慮するかどうかが、

子どもの自主性を育てられるかどうかに大きく影響すると考えていたからです。

 

「毎日何ページずつする?」というようなことも、

勉強する時間帯をいつにするかも子どもに考えさせました。

よくお母さんの中には、学校から帰ってきたら

まず宿題をすませないと遊びに行かせないという方もおられますが、

我が家の子どもたちは、夕方日の暮れるまで公園で遊ぶことを選択しました。

 

だいたい6時くらいまで公園で遊び、

6時から8時の間に夕食、テレビ、お風呂だったでしょうか。

8時からは家族でテレビを消して勉強タイム。

9時からは小さい時から習慣化している読み聞かせをして、

9時半から10時くらいの間に寝ていたように思います。

 

子どもに家庭学習の習慣をしっかりつけたいと思うなら、

親があまりよくばらないことが大切です。

我が家の子どもたちはおそらく小学生の間、

勉強1時間と読書30分くらいの生活を6年間続けました。

 

友達がベネッセの子どもチャレンジ(通信教育)をやっているのを見て、

子どもたちは2人ともチャレンジをやりたがったので、

自分で始める限りは6年生まで絶対に続けなさい、と約束してやらせました。

我が家はとにかく子どもが自分で「やりたい」と言ったことしかやらさないので、

子どももおのずと自分の言ったことに責任をとらなければいけないようになりました。

 

小学生の間に家庭学習をたった1時間でも続けられるようになることは、

後々それほど他人に頼らなくても、

自分で勉強を計画的に自主的に進められる学生になるために、

とても重要なことだと思います。

たった1時間でも継続・習慣は大切で、

我が家の2人は小学生としては優秀だったと思います。

 

他のご家庭では、もっとレベルの高い学歴を目指して、

小学校の時からエリート教育をされるところもありますが、

私は私なりの教育観がありました。

子どもたちはどの学校に進学しても良いし、

どんな職業についても良いと思っていました。

「できれば、世の中の人のお役に立てる、

 世の中の人に少しでも今より幸せなっていただけるような

 大きな仕事をしてほしいけどね。」と折に触れ子どもたちに話していました。

そんな時、子どもたちに、

「お母さん、どんな仕事でも世の中の役に立っている仕事だと思うよ。」

と逆にたしなめられ、私も「そうだよね。」と答えたりしたこともありました。

 

「学校だって本当は良いところに行って欲しいくせに。」

などと、中学生になった子どもたちに言われましたが、

私は本当にどこの学校に行くかよりも、

その子が一番才能のある事でその道の一流になり、

そしてその才能で世の中に貢献できる人になって欲しいと、

本気で思っていたのです。

 

ただ何をするにも基礎学力と自主性は欠かせません。

だから、小学生の時に家庭学習の習慣を身に付けさせることが、

とてもとても子育てにとって重要なことだと思います。

 

雑草のように子どもを育てたい

 

私は「不幸だった少女の話」で書きましたように、

自分の育った家庭環境でいろいろな事がありましたので、

基本的に人生はかなり厳しいものだという、認識を持っています。

 

だから、自分の子どもたちも大切には育ててきましたが、

温室育ちの純粋培養より、

少々のことがあっても抵抗力を持っている雑草のように

育てていきたいと思っていました。

 

子どもの人生にいつまでも親が付いてやって、

守ってやれるわけではないでしょう。

学歴もあってこしたことはないし、

精一杯勉強して高度な教育をうけることも大切だとは思いますが、

それ以上に大切なのは、

厳しい環境でもめげることなく生き抜こうとする力だと思います。

 

だから私は、子どもたちに学習習慣や読書習慣を身に付けさせることによって

知的好奇心を育てることに情熱をそそぎながらも、

子どもを「野に放つ」気持ちを持ち続けました。

 

公立学校にはさまざまな環境に育つ子どもたちがいますが、

もまれながら成長して欲しいと思いました。

確かにいじめのようなことを受けたりしたことも何度かありましたが、

我が家の子どもたちは、苦しみながらも、なんとかそれを跳ね返したり、

受け流したり、じっと通り過ぎるのを耐えることができました。

 

また、私はどんな時も、

自分の子どもが「被害者」だと一方的に考えないようにしました。

どちらかというと「自分の子どもが他人を傷つけてはいないか。」

「自分の子どもが加害者ではないのか。」

「自分の子どもが他人に迷惑をかけてはいないか。」

という気持ちを持ちつづけて、子どもたちの様子を見守ってきたつもりです。

 

教育現場にいると、親御さんの中に、

「うちの子に限って」という考えを捨てられない方に出会うことがあります。

そういう親御さんの子どもは一見優等生に見えるし、

子どももそんな親の期待に応えようと頑張ってしまいますが、

かえって自分の失敗や欠点と向き合えず、

いろいろなことをごまかそうとしたり、

見栄をはったりして、ゆがんでしまうことも多いようです。

 

だから私は、我が子に心からの愛情を持ちつつ、

「もしかしたら、うちの子が…」という気持ちを忘れませんでした。

そのおかげで、いろいろな子ども同士のトラブルの時に、

我が家の子どもたちの「いたらなさ」を親子で共有し、

直すべきことは何なのか、

一緒に考えることができたのではないかと思います。

 

そんな親子での確認作業を怠ったり、

見過ごしたりしているうちに、

気がついた時には修正が難しくなるほど、

子どもがゆがんでしまっていたということがあるようです。

 

子どもが何かのトラブルに巻き込まれた時、

子どもの「いたらなさ」、

そんな子どもの親である「いたらなさ」から目をそらさず、

決して「世間体」を優先するのではなく、

ゆっくりと時間をかけて真実と向き合い、

そのことを親子が成長できる良いチャンスだと

前向きに受け止めることが、重要なのだと思います。

 

「世間体」で子どもがどう見られるかということより、

どうしたら少しでも正しく生きられるのか、

親子で真剣に考えることの方が、

何倍も「幸せ」に近づく可能性が高くなるように思います。

 

スポーツ少年団は勝つことよりも努力することに意義がある

 

我が家の子どもたちは、

親が2人とも文化系のクラブに所属していたのにも関わらず、

小さい頃から運動が大好きで小学生の時からスポーツ少年団に所属し、

大人になるまで、スポーツ中心の生活を送りました。

 

スポーツ少年団に入ったのも、親が勧めたわけではなく、

2人とも自分で希望して始めたことです。

その根底には、小さい頃から「外遊び」を重要視してきた

親の努力があったとは思います。

 

現在外遊びに快適な季節になりましたね。

休日にテーマパークに行かれるご家庭は多いようですが、

我が家はほとんど行きませんでした。

有名なテーマパークにはそれぞれ1回ずつは行きましたが、

一応世間の皆さんと話を合わせられる程度に行ったようなものです。

子どもたちも行っていないと友達に恥ずかしいようでしたから。

 

その代わり休日は、もっぱら自然の中に作られた公園めぐりに明け暮れました。

山のふもとに作られたアスレチックのある公園などで、

家族で一日中遊びました。

子どもはもう歩けるようになると、外遊びがしたくてウズウズするものです。

遊具につかまって、登ったり滑ったり、飽きることなく繰り返します。

そういう遊具があれば、まだ幼くても何時間でも遊び続けることができました。

そんな遊びをしているうちに、握力や筋力や瞬発力が自然と身に付き、

基礎体力が作られていったのだと思います。

 

遊具で遊ぶ時期が過ぎれば、親と一緒に遊ぶようになります。

キャッチボール、バトミントン、バレーボール、テニス、水遊び、

親も子どもと一緒に日の暮れるまで飽きることなく身体を動かしました。

 

やはり子どもの成長に一番大切なことは基礎体力を作ることだと思います。

基礎体力があってこそ、勉強にも集中して取り組めるし、

大人になった時、一人前の仕事ができるようになるのだと思います。

 

そんな幼児期を過ごしたせいか、

小学生になった時、子どもたち2人は自分自身で、

スポーツ少年団に入ることを強く希望しました。

息子の剣道は、武道を習わせたかった私が少し誘導した感はありましたが、

陸上競技は息子自身が決めて、積極的に練習に通いました。

(男の子に武道を習わせるのは、礼儀作法を身に付けたり、

集中力や闘争心を養うのにとても有効であるそうです。)

 

スポーツ少年団のコーチは基本的に地元のボランティアの方が指導者です。

年配の方から、働き盛りのコーチの方まで、

いろいろな方に指導していただき大変お世話になりました。

息子はそんなコーチの方々の善意に感銘を受けたのか、

「スポーツ少年団のコーチ」になりたいと言い続けていました。

あの方たちはボランティアで、仕事ではないということを

理解させるのに手間取りました。

でも息子にとって、そんなコーチの皆さんの指導が尊敬の対象であり、

憧れであったことは間違いありません。

世の中には奇特な方がたくさんおられるのだと頭が下がります。

 

娘はバレーボールのスポ少に所属し、

中学、高校と9年間続けることができました。

スポーツ少年団と言えば親もかなり関わりますし、

ついつい試合にも力が入ります。

レギュラーになれるかなれないかも親は必死になりますし、

様々な職種の親御さんが集まるので、トラブルが起こるのもしばしばです。

私も子育てで一番気を遣ったのは、子どもがスポ少に入団していた時でした。

でもあの大変だった時期も振り返れば、子育てには貴重な時間だったと思います。

 

ただ気をつけなければならないのは、小学生の時期に、

勝ち負けにこだわりすぎるスポーツ少年団は、

逆に弊害をもたらす可能性があるということです。

成長期に無理な練習をし過ぎると、健全な成長に支障をきたすことがあります。

レギュラーになれるかなれないか、試合に勝つか負けるかにこだわり過ぎると、

スポーツが本来持っている楽しさを持ち続けることなく嫌気を持ってしまいます。

 

そんな残念なことにならないよう、見守っている親が本来の意味を見失わずに、

おおらかな気持ちと感謝の気持ちを持ち続けることが必要でしょう。

スポーツ少年団は参加すること、努力すること、

仲間と共に過ごすことに一番の意味があり、基礎体力作りに貴重な場所です。

目先のことにとらわれすぎずに、親子で参加したいですね。

 

おかげさまで息子は陸上競技を愛し続けて、

中学高校大学と陸上部の主将を務め、文武両道を目標として頑張りました。

娘は大学では1部リーグにいる硬式野球部のマネージャーの要として、

日々60人ほどの野球選手の管理という大変な仕事を4年間をやりきりました。

2人の子どもたちのバイタリティーには、親としても驚くべきものがあります。

 

でもそんな子どもたちの基礎体力は、幼児期の「外遊び」と

「スポーツ少年団」によって育まれたのだと思う今日この頃です。

 

しかしながら、スポーツが苦手な、文科系の子どもももちろんいます。

現に私は演劇部、主人はブラスバンド部でそれぞれに頑張ってきました。

スポーツに限らず、それぞれの子どもが夢中になれることを見つけて、

情熱を持って楽しみながら努力することを身につけられたらいいですね。

 

東進ハイスクール林修先生の子育て論を聞いて

 

関西テレビで、『あすなろラボ』という番組があり、

東進ハイスクール予備校の現代文の林修先生の

「子育て論」の講義が放送されました。

「いつやるの?今でしょう!! 」で有名になった先生です。

受験勉強のプロはやはり経験の中から、

どのように子育てされた子どもが勉強でも伸びるのか、

実感されてきたのでしょうね。とても説得力のあるお話でした。

 

また、私が子育てを実際に終えて感じていることと、

林先生がお話されたことには非常に共通点が多く驚きました。

この体験談で書かせていただいたことと、

同じような内容を次々と話されました。

その共通点と、私がまだ書いていなくてなるほどと思ったことを交えながら、

紹介したいと思います。

 

まずは共通点ですが、

「子どもは3歳から10歳までの間にどうしつけるかが1番大切だということ」です。

私も何度も書きましたが、人間の脳は10歳まででほぼ完成するので、

10歳までにどのように生活させるのか、どのようにしつけるのかが、

子どもの人生を左右するほどに重要だということです。

 

林先生は「子どもにたくさんしゃべらせ、たくさん手を動かせる」ことが

大切だと言っていました。また、

「子どもの話をよく聞いてあげて、

 子どもの「なぜ?」に質問を投げ返してあげましょう」と言っていました。

子どもは「なぜ?」の連続です。

その時、「あなたはどうしてだと思う?」ってお母さんが聞き返してあげると、

子どもは自分で考えるようになるし、

自分の考えを話すようになると説明しておられました。

 

「子どもは3世代の中でこそまともに育つ」というお話も重要なことだと思いました。

今は核家族が非常に多く、我が家も実際核家族ですが、

やはり両家の祖父母と子どもたちとの関係が密になるように、

非常に努力したと思います。

子どもたちは一族の中でこそ、いろいろなことを豊かに学び、

吸収し、精神的に安定するのだと思います。

そして、先祖からの長い歴史の中に自分があるのだということを意識させることも、

アイデンティティーを確立した、まともな大人になるために必要なことだと思います。

父方母方両家分け隔てなく付き合うことも大切でしょう。

そしてお正月、お盆、お彼岸などの伝統的な行事にきちんと参加して、

受け継いで行くべき習慣を継承していく努力も必要でしょう。

なんでもかんでも、今の時代のせいにしてうやむやにしていると、

日本人として、人間として大切なものを失っていくと思います。

 

「子どもはもともとお母さんが好きなのに嫌いになるのは、

手作りの料理をしっかり食べさせていないから。それに尽きる。」と言っていました。

今時のお母さんには耳の痛い話かもしれませんが、それが現実というもののようです。

最近の運動会では、お母さんが手作りのお弁当を作らず、

祖母に代わりに作ってもらったり、

出来合いのものを注文したりする人が急増しているそうです。

日常の食事も総菜屋のものやコンビニのものを食べさせたりするそうです。

忙しいのはわかりますが、子どもがまともに育ち母親を好きでいるためには、

やはり「胃袋をつかむ」ということが一番大事だとおっしゃっていました。

 

「子どもに勉強をさせる」「子どもに本を読ませる」ためには、

お母さんがそんな姿を見せなければそうはならないというお話もありました。

お母さんがいつも何かを学び、本を読み、向上心をもって楽しそうにしていれば、

子どももおのずとそうなりたいと思うでしょう。

 

「ゲームをする」「漫画を読む」みんながしているから、しないと仲間はずれにされる、と番組で講義を聴いていたお母さんたちが、林先生にしきりに反論していました。

「今の社会は理想通りにはいかないのだ」と。

林先生は困っておられましたが、社会がどうあろうと、

自分の子どもはまともに育てるというお母さんの相当な覚悟がないと、

子どもを守ることはできないし、社会も変わっていかないと言っておられました。

私も「メデイアに関して親が管理した方が良い」と書きましたが、

社会がどうあれ、社会に流されず、常に何がベストなのか、

親も考え行動しなくてはいけないと思います。

 

林先生がしつけで一番大切なこととおっしゃった1つ目は

「好き嫌いをさせない」ということでした。

何でも食べられる子どもはわがままにならないし、

寛大で、吸収力があり、頭も非常に良くなるということです。

無理矢理食べさせるというのではなく、何でも食べられる子どもにするために、

親が努力し、愛情をこめて手間ひまかけることが大切だということです。

 

 そして、林先生がしつけで一番大切なことだとおっしゃった2つ目は

「姿勢をきちんとすること」でした。

このことをTVで聞いた時、目からうろこが落ちたという気持ちになりました。

私は子育ての中で、強く意識することなく、

子どもに武道を習わせたいと、漠然と思っていました。

子育て仲間のお母さんが当時、何かで学んだらしいのですが、

男の子には剣道を、女の子にはバレエを習わせるのがいいらしい、

と私に教えてくれました。息子はスポ小で始めた「陸上競技」に打ち込みましたが、

剣道を習う気にもなってくれて、小1から中3までの9年間続けることができ、

大切な時期に姿勢の良い集中力のある生活ができたと思います。

今考えると、子ども時代に、武道の世界で身の処し方を教えていただいたのは、

とても良いことだったと、林先生のお話を聞いてあらためて思いました。

  

世間体を気にする気持ちが子どもを萎縮させる

 

 親御さんと話をしていると、とにかく子どものスポーツ自慢や、

誰それがどこの学校に行ったとか、

自分の子どもは絶対あそこの学校に入れたいとか、

将来うちの子どもはこんな仕事に就かせたいとか、

一生懸命語る方たちがいます。

 

そんな話を聞く度に、なぜ親が子どもの将来を決めてしまおうとするのだろう、

そんな権利があるのだろうか、と思うことが多いです。

 

確かに自分の生んだ子どもではありますが、

一人一人の人生は個々のもので、親の思い通りにするものではないでしょう。

もちろん、親の願いや理想はどんどん語ってよいと思いますが、

その時一番大切なことは、その内容が

親や祖父母の世間体を気にするものではあってはならないということです。

 

それは大人の保身や見栄であって、

子どものことを本当に大切に思って言っている言葉ではありません。

親は世間体が良いと子どもの幸せになる、

と思い込んで話をしているのでしょうが、敏感で無垢な子どもは、

親のそういう話は、本当は親の見栄のためのものであって、

自分自身を心から大切に思ってくれているわけではないと、しっかり感じとります。

そして子どもは一度きりの大切な人生を、

「自分のもの」だと思えなくなっていきます。

ついには、自分の意志できちんと生活すること、

勉強すること、頑張ることをだんだんしなくなっていきます。

 

つまり、親や祖父母が自分たちの見栄や体裁のために

子どもにうるさく言えば言うほど、

子どもは逆にやる気のない子になってしまうのです。

小さい時は、子どもには反発する力も考えもないので、

一見親の言うことをよく聞き、ある程度勉強もするでしょうが、

必ず頭打ちになり、思春期の頃からいろいろな面で伸びなくなってしまう場合が

非常に多いようです。やらされている勉強、親が勝手に決めてしまう進路に、

子どもは立ち止まってしまい、下手をすると動かなくなってしまうこともあります。

(つまり引きこもるということです。)

 

私も普通に、世間体を気にしたりや見栄を張ったりする心を持っていますが、

学校現場で上記のような理由で動けなくなる子どもたちをたくさん見てきたので、

自分の子育てではそうはなりたくないと、強く意識するようになりました。

 

親は世間体を気にする心を封印する努力をする必要があるでしょう。

見栄を張るのは人間の煩悩なので、完全に消してしまうのは無理でしょうが、

常に封印しようとする姿勢が大切だと思われます。

 

「世界に一つだけの花」という歌の歌詞にもあるように、

人間は「一人一人違う種」を持っていて、

「その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい。」のですよね。

それは、どこの学校を出たとか、

これくらいの会社に入らなければならないとかいうことばかりに気を取られていると、

見失ってしまう大切な「種」であるように思います。

 

親が子育てで一番大切にしなければならないことは、

子どもとともにその「種」を探してあげて、子ども自身がその「種」に気づき、

「花を咲かせたい」と思うように、力添えをしてあげることでしょう。

時に才能のある感受性の鋭い子どもは、

現在の学校と言う制度に馴染みにくいことがあるようです。

そんな時は必要以上に落ち込まず、ゆっくりと時間をかける覚悟も必要でしょう。

子ども自身が自らその才能に気づき、自己肯定感や自尊感情を持ちながら、

自己実現を果たしたいと夢に向かって努力できるきっかけを見つけられるまで。

 

 そのためには、できるだけいろいろな体験をさせ、

いろいろな人と出会えるような機会を作ってあげることが、

親の仕事なのかもしれません。

「可愛い子には旅をさせよ。」と昔から言われているように、

自分の手元から離して苦労させることも必要ですね。

 

 社会貢献につながる仕事であるならば、

どんな仕事に子どもが就いても良いでしょう。

自分に与えられたかけがえのない才能を生かして、

その道で一流になり、

その道のプロとして社会のために役に立てる仕事ができれば、

それ以上の幸せはないでしょう。

 

不思議なことに、親が見栄を捨てる努力をすればするほど、

そして子どもの本来の才能をしっかり見つめてやればやるほど、

子どもはやる気のある気持ちのいい子どもに育っていきます。

(逆説的ですが、親が見栄を捨てれば捨てるほど、

 子どもは良い方向に育っていくように思います。不思議な話ですが・・・。)

 

一人一人の子どもたちが存在を認められ、きれいな花を咲かせることができれば、

もっと美しい社会ができるのでしょうね。

教育の現場を子どもたちの多種多様な可能性を伸ばしていけるような、

そういう環境に変えていくことも大切だと強く思います。